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ぐてっとしながら、思うこと。
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人の前に道は出来る、人の後ろにあるのは、積み重ねてきたレールがあるばかり。





行くや如何に一歩踏み出し歩く道 吾が背にある果てしなき道







遠い遠い理想の果てに、一体人は何を見つけるんでしょうかね。



あ、そう言えば、最近、つらつらと考えるのは、生まれもっての才能が、どうこうと言う話。

例えば、世間で大人気(嫌いな人も多いようだけれども)な芦田某と言う子役も、天才の呼び声高いけれども、恐らく、誰しもが、向き不向きはあるのだろうけど、あぁなりうる可能性もあるって事。

あれは、天稟の才もあるんだろうけど、想像を絶するような努力があってこそなのかもしれない・・・・と、ふと思ってみたり。

私も、書道をやっていて、たまに才があるからこそだよとも言われるんだけれど、冗談抜きの真面目な話をさせてもらえば、絵ばっかり書いて帰ってた幼少時代。

それがために、ありとあらゆる物が遅くなってしまったと言う経緯があるわけで、そう考えると、自分のソレは、ただ続けていた事によるところが大きいに違いない。

それと、膨大な失敗量・・・往生際の悪さ・・・と言うのもあるのかもしれないね。

だからなのか、天稟とか、そういうのを認めてはいるのだけれど、どこか胡散臭く感じてしまう。

出来ることなら口に出さないで欲しい天賦の才。

そんなものは、数パーセントにも満たないのだから。

私に、才能があるとすれば、それは、才よりも膨大な失敗量が生み出した経験則というやつなのかも。

この前も、お酒を片手にそんな話をしたんだけれども、私は、常にマイナスからの出発。

大方が、それなりの努力による賜物。

最近、そこかしこで、そんな話もチラホラ出てたような気がするので、ちょっとボソッと(笑)

書いても、嘘だ!って思われそう。

とにかく、一々、才能とか生まれもってのを持ち出すのは卑怯だと、私は思うわけで・・・と言うか、天才と言うのは、大方が伸びないような気もするナァ。

世に出てるアスリートとか、子役とか・・・きっと、天才の名とは裏腹に不器用だと思うなぁ。

いや、不器用だけど頑張り屋と言うか。

頑張って来たであろう人を、天才とか天稟だよで片付けてしまうのは、いささか失礼なような気もしなくも無い。

どこぞの金持ちの法則じゃないけど、世間一般の人間は金持ちの財しか見ないで、その過程に目を向けるものは少ないってのと同じ。

そういうところに着眼できる人になりたいな。
by orientalis | 2012-01-21 23:05 | Monolog
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