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考えても仕方なき事
最近、考えても仕方の無い事を考える事が多くなった。

「どう考えたって、そんなのその人の勝手じゃん?考えても意味無いって・・・そいつがどうなろうが知るかよ」

で済みそうな疑問を悶々と考えているのである。

この問いを人に聞いた所で返ってくる答えはたかが知れてるし、考えようによってはお節介な部分を含んでいるのだから相談のしようが無いことは明白。

今日もそうだ。

友達とバイトの後輩についてと敬語の話になった。

俺は

「(この仕事をやろう!と自分で決めて望んだ※ここ重要)仕事を半端にするやつは大嫌いだ。我慢ならないから角が立つかも知れないが注意した」

と、言った。

ほっとけば良いのに・・・みたいな白けた空気になった。

大の大人までそんな感じになった。

そこで、場を戻す為にこう補足をした。

「中途半端で終わらされてみろよ。そいつが帰った後に上司が来て俺に注意がくるんだ。面倒だとはおもわねぇのか?」

場は一気に「あぁ、なるほど」みたいな感じになった。

個人的に、なんでこんなになったのか考えてみた。

ちょー個人的だし自分勝手な考えかもしれないのだけれど、思うに

「大学生なんて、所詮は高校の延長線。チームワーク云々だとか社会的に自分の言動や行動がどうなるのか推測しながら仕事をこなした事が無いただの学生だ。
実習だとかにおいてチームワークとその中にある絶対の規律の中でいかに余裕とゆとりを持って仕事しなければいけないかを迫られる俺とは違う・・・・。」

・・・ふとそんな思いに駆られた。

凄い失礼だと思うし申し訳ないとも思うが、彼らの言動の断片からそんな様子が垣間見えたようだった。おそらくこの一文は自分勝手すぎるから後々非難の嵐だろう。本当に申し訳無い。だから突っ込むな。

それと、敬語だ。

敬語は社会と言う規律の中で生きる為には嫌でも使わなければいけないツールの一つだろう。

友達と話していて、「俺は絶対後輩に敬語を使わせる。俺は別にタメ口でも構わないとは日頃から思っているけれど、そいつが社会に出たら必然的に敬語を使わなければいけないし、いきなり使おうとして使えるものでもないから今のうちに慣れる意味で俺や他の先輩に敬語使っておけと言う」と言うと、予想通りの答えが返ってきた。

「お前固すぎ。俺そういう先輩とは絶対話したくないから適当にあしらうぜ?そんなのそいつが社会に出たら困るんだからほっとけばいいんだ」

・・・確かに一理ある。

ただ、お節介なのかお人よしなのか、多分どっちもだけど、どうも納得出来ない。

個人の考えには幅があるから同調されないのも当然だしそれは分かってるけどどうも許せない所がある。全て分かっていても許せない面が存在するのだ。
他はどうなのか知らないけど、俺には少なくともそういう一面がある。
この変な考えのせいできっと友達無くすかな?とか毎度思う。

自由とフリーダムは今更言うが、違う。

自由とは、我儘し放題といった感じであり、フリーダムは規則の中にある自由である。
どっちが良いかと言ったら俺はフリーダムだと思う。
友達は前者を尊重している節があるが、はっきり言って浮いている。一人馬鹿騒ぎと言った次第であり、陰口としてそういうのに対する他人の不満と言うか憤りを聞いてしまった事もある。

何ていうか、中身の無い空騒ぎほど空しいと思う。

昔、日本人はこう呼ばれた。

「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」(ポール・クローデル1943年 パリにて)

この高貴・・・かつて世界一気高いとされた民族であった日本人・・・いまやその断片すらない。

日本人は物の分別がつかなすぎたのかもしれない。

俺は、高貴だと言われた理由を武家社会の中の戒律と相手を思いやる特有の心構えにあるような気がした。

その元になっているのは多分孔子だろうが、ガチガチの思想では無く、ようは自分自身に誇りを持ち、自分のやる仕事に対しても誇りを持ち、他人を思いやれる人間が高貴なんだと思っている。

俺は思想を語るのは嫌いな方だし、ここにこういう事を書くってのも相当キテル証拠だろう。

自分勝手な事を書きすぎたと今になって思う(苦笑)

久しぶりのブログがこんなんで申し訳無いが生暖かく見守ってくだされ。考えても仕方なき事_f0104799_2102226.jpg
by orientalis | 2006-07-12 02:10 | Monolog
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