カテゴリ:Art( 23 )
目指した絵
まだ高校生だった頃、基礎を学びつつ自分の個性を出そうと常に考えていた。
美大まで本気で考えていた頃の話。

それで、多くの仲間が静物画だとか過去の巨匠の絵に惚れ惚れしているのを横目で見つつ、どうしたら自分のムードが出せるのか考えてみた。

身近にあった水墨画の本をペラペラ捲っていると禅幾画で手が止まる。
禅幾画と言うのは、禅の世界を描いたもので、見るものに絵を用いて禅の質問を出し、考えさせると言うのも。
代表的な作品には如拙の瓢鯰図なんかがあったりする。
一人の漁師が瓢箪を持って水の中の鯰を見ている図で、鯰を捕らえるのに瓢箪を使うのは上手い考えだ。さらに上手くやるには瓢箪の内側に油を塗ると良い・・・・。そういう風になっている。
何が言いたいのかはこれを見ている皆さんに考えてもらうとして、閑話休題。

さて、そういう訳でそういう絵の虜になった俺は色々見た。
今はもう題名も忘れてしまったけれどとにかくざーっと見ていった。

そしてこれを油絵に活かしたいと考えた。
ここまでなら西洋の油絵でも多くの巨匠・・ダリなんかが似たような事をやっている気がするが・・・とにかくやっている。
これを超えたい・・と大それた事を考えたかと言うと考えなかった。
そこまで意欲は無かったが(駄目じゃん)、さらにそこに書道の考え、方式等を持ち込もうと考えた。
皆さんは見た事があるだろうか?長い紙にうねうねと書いてある字を。

あれは絵のように見るのが上手い方法だ。字と余白を極限にまで活かす様々な工夫が、見るものには分からないように忍ばせてある。

騙してもいるし、術者の心境まで書いている。あれほど面白く、かつ怖いものは無いのだが・・・とにかくその工夫を油絵上にどう活かすかが俺個人の画風だった。

それを大成させる為には技術は勿論、自分と言う計り知れない可能性を秘めた器を出来る限り満たし、人間をある程度完成させる必要性を感じた。

高校生のうちにどこまで伸ばせるか等高が知れているとは思ったけれど、そこが気になった。
基礎を学びながらそれを同時進行でやろうと考えていた自分が、そういう考えになった大きな理由は宮本武蔵の”一芸は万芸に通ず”と言う言葉に共感していたからだろう。

つまり、何か一つでも極めれば、それは全ての事に応用できると言うのだ。
俺はそれを今も信じているし、そうなりたいと願い、努力している。

いつもここからのスタート。それが自分。
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↑師の作品
詩文書と言う、一般の方にも分かりやすく、かつ字を絵のように書く書道。
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by orientalis | 2007-01-07 21:10 | Art
無性に・・・
最近、無性に油絵が描きたい。
道具は中学、高校の頃美術部だった事もあって一式有って題もテーマも構想も決まっている。
軽くシュールレアリスムの絵だけれど・・・上手くないけれどちょっと描きたい。

高校生の頃から禅宗のお題を真似て絵に盛り込むような描き方をした。
禅幾画が好きでよく見た。
見る人を考えさせ、素直な自分を書き記す・・・誰にも理解されなかったけれど達成感が有った。
そんな自己満足なものを描いてみたい。
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by orientalis | 2006-12-28 02:14 | Art
スライドショー

この記事はパソコンでしか見られません。申し訳ない・・・。
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by orientalis | 2006-12-17 00:33 | Art